2016.5 久能山東照宮での神前式

2010年(平成22年)、国宝に指定された久能山東照宮(静岡県静岡市駿河区)。

神前式のプランニングをさせていただきました。

新緑も美しく、お天気にも恵まれた日。

参列されたご家族、ご友人、そして拝観されていた一般の方々からの祝福を受け

暖かい空気の中、厳かに執り行われました。

新郎新婦のお二人の笑顔が幸せにあふれていました。


久能山東照宮での神前式をご検討の方は、お気軽にお問い合わせくださいませ。

ウェディング&イベントプランナー

成瀬(なるせ)みなみ

naruseminami.wedding@gmail.com

Planner : Minami Naruse

Photographer : Toshimichi Endo

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久能山東照宮の御祭神は徳川家康公。

晩年を駿府(現在の静岡市)で過ごされた家康公は、

亡くなる直前、家康公は家臣たちに「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命を託されました。二代将軍徳川秀忠公は直ちにそれを実行し、また久能山に家康公を祀る神社を造営することを発令したのが久能山東照宮の始まりです。

1年7ヶ月の期間で建てられ社殿は、当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式。日光東照宮を始めとする全国の東照宮建築のひな形とされました。

棟梁中井正清はその生涯で名古屋城(国指定特別史跡)・仁和寺(重要文化財)・二条城(国宝、世界文化遺産)など現在にも残る重要な建造物を手がけましたが、久能山東照宮は晩年の傑作であるという評価から、平成22年に国宝に指定されております。

(参考:久能山東照宮ホームページ)

由来・行事|久能山東照宮

徳川家康公(東照公)豊臣秀吉公 織田信長公御祭神である徳川家康公はご幼少のころよりあらゆる艱難辛苦を跳ね除け征夷大将軍に就かれました。晩年を駿府(現在の静岡市)で過ごされた家康公は、元和2年(1616年)4月17日に75年の生涯を大成されました亡くなる直前、家康公は家臣たちに「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。二代将軍徳川秀忠公は直ちにそれを実行し、また久能山に家康公を祀る神社を造営することを発令しました。これが久能山東照宮の始まりです。大工棟梁には中井正清が選ばれ同年5月に着工、1年7ヶ月の期間で社殿が建てられました。当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式は、日光東照宮を始めとする全国の東照宮建築のひな形とされましたまた、棟梁中井正清はその生涯で名古屋城(国指定特別史跡)・仁和寺(重要文化財)・二条城(国宝、世界文化遺産)など現在にも残る重要な建造物を手がけましたが、久能山東照宮は晩年の傑作であるという評価から、平成22年に国宝に指定されております。久能山東照宮では元旦の歳旦祭より大晦日の除夜祭に至るまで、年間を通じ約60回の祭礼・行事が執り行われます。中でも盛大に行われるのが御例祭(4月17日)および春季・秋季大祭(2月17日及び10月17日)です。家康公が亡くなられた4月17日に行われる大祭です。徳川宗家当主を司祭に迎え、特別に調えられた「三品立神饌」の供進や、江戸時代に駿府代官所・町人より野菜・菓子が献納された故事に基づく「神供進献の儀」など、厳粛な雰囲気の下で祭礼が執り行われます。御例祭の時にのみ神前に献じられる特殊神饌です。東照宮創建より明治5年(1872)まで献じられていたものが、東照宮350年祭を機に再興され現在に至っています。山海の約50種類の食材が金属製の特殊器具に盛られる、全国的に類例の少ない格別のお供え物です。 2月16日から17日にかけて行われる祭礼です。江戸時代に将軍家・武家で行われてきた具足飾りの祝儀を神社祭祀に取り入れ行われている祭礼です。歴代将軍の具足(ぐそく)3領を社殿石の間・拝殿に飾り、各種縁起物と丸餅・菱餅で構成された「具足餅」が各具足に供えられます。歴代将軍の具足が凛とした雰囲気を漂わせる中、国の隆昌と世界平和を祈願致します。江戸時代は旧暦1月17日を「その年最初の御神忌の日」と

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